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  間野谷(国鉄・両毛線)

1.駅跡地(のはず)近景

 

2.駅跡地(のはず)遠景

 

3.駅跡地(のはず)を見下ろす

【駅概略】 ※1987年4月1日廃止

国鉄両毛線の岩宿−国定間にあった無人駅。岩宿駅から3.7kmの地点にあった。戦後に新たに設置されたが,両毛線の電化(1968年9月)によるスピードアップを理由に1968年10月1日に営業休止,国鉄民営化とともに正式に廃止された。現在,跡地に駅の痕跡は見当たらない。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

間野谷(あいのや)

所在地

群馬県伊勢崎市間野谷町
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1955年1月20日

乗降客数

駅名のルーツ

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1956年12月

10往復

1967年10月

8往復

1987年3月

(休止中)

 

【訪問記】(2009年6月)

両毛線廃駅訪問シリーズ第1弾。両毛線岩宿駅で下車し,15分ほど歩いたところにある岩宿遺跡で日本の旧石器時代の発見に思いを馳せた後,さらに南西に向けて歩き始めた。目指すは間野谷駅の跡地である。

両毛線は栃木県の小山と群馬県の新前橋を結ぶローカル線だ。走るのは新前橋−前橋間に乗り入れる特急列車と臨時列車を除けば普通列車ばかりで,鉄道ファンの間で話題に上ることもあまりない。そんな,一見地味な両毛線だが,実はとんでもない歴史を秘めている。1950年代前半に設置され,60年代後半に休止,87年4月1日(※三重駅のみ84年3月1日)をもって廃止された駅が全部で11もあるのだ。幸か不幸か,この驚愕の事実は世にあまり知られていない。ネットで情報収集を試みても,どうやらこれらの駅廃止は両毛線の一部複線化(1968年7月〜8月)と電化(1968年9月)に関係がありそうな気がしたくらいで,詳細はよく分からない(※後日,読者の方からの情報提供により,両毛線の電化によるスピードアップのためと判明しました)。これはもう自分で現地に行ってみるしかない。

11の駅のうち,小野寺,犬伏,東前橋の3駅については複線化区間にあるので跡形もないだろうと勝手に判断して無視することにし,残りの8駅の位置を特定しにかかる。幸い,これらが現役だった頃の時刻表を見ると,営業キロが記載されている。今も現役の隣駅からの営業キロをもとに地形図上で駅跡地を推定して赤丸を付け,今日ついに現地訪問と相成った。

岩宿遺跡から国道60号線に出て西進し,間野谷町に入ると左に折れて南下。間野谷の集落の外れまで来ると,両毛線を横切る踏切に出た。ここが私の推定した間野谷駅の跡地である。

かなり正確に位置を推定したつもりだが,依拠した営業キロがそもそも0.1km刻みの情報なので,多少の誤差は否めない。ので,この踏切を中心に,前後の区間をくまなく捜索することにした。

駅跡候補地@:まずは踏切西側を見てみる。踏切に接して線路の南側に何らかの施設(通信ケーブル関係?)があり,まずはここがホーム跡地のような気がしてくる。そう思って必死に目を凝らすも,それを決定づける証拠は見つからなかった。

駅跡候補地A:そこから線路に沿う農道を西に行って高圧線の下を抜けると,何やら怪しげな空間が広がっている。今は農作業用の倉庫や資材置き場のようになっているが,「駅前広場の跡だ」と言われれば「なるほど」と信じてしまいそうなくらいそれっぽい雰囲気を醸し出している。それを確信に変えるため,証拠を一生懸命探したが,何も見つからなかった。

駅跡候補地B:ひるがえって今度は踏切の東側に向かう。踏切北東側にある民家を北から回り込むようにして線路脇に出ると,またまた怪しげな空間がある。今は砂利(バラスト?)や枕木数本が横たわる資材置き場のようになっているが,「駅前広場の跡だ」と言われれば「なるほど」と信じてしまいそうなくらいそれっぽい雰囲気を醸し出している。それを確信に変えるため,証拠を一生懸命探したが,何も見つからなかった。

駅跡候補地C:今度は踏切南東側に伸びる農道を行く。・・・と,枕木を組んで作った橋のようなものを発見した。「まさかホームの跡か・・・!」と興奮を覚えたが,高さがおかしい。両毛線の線路とほぼ同じ高さにあるのだ。これじゃ客が乗り降りできない。けど,かなり年季の入った代物には違いない。この枕木橋の上に飛び乗ってさらに思案したが,結局結論は得られなかった。

当初の滞在予定時間20分のつもりが,すでに1時間もこうしてあちこち歩いては思案,を繰り返している。完全に不審人物だ。なのに,どこも「ここだ!」と思えるような決定打がない。はて,どうしたものか・・・。

・・・・・・とそのとき,これまで何かと基点にしてきた踏切に「第二大間々道踏切 両毛線 60K521M」と書いてあるのが目に留まった。この「60K521M」というのは両毛線の起点・小山からの距離のことで,ご丁寧にメートルの単位まで書かれている。

・・・?・・・・・・?? ・・・・・・!・・・・・・・・・!!!!!

私ははっとした。古時刻表を見ると,間野谷駅の営業キロは「60.6km」とある。一方で,この踏切のそれは60.521km。駅の営業キロはホームの中心位置の営業キロを四捨五入して表示する(はずな)ので,間野谷駅はこの踏切の西側(小山とは反対側)29m〜128mの範囲に(ホームの中心が)あったはずである。となると,上記候補地BCは踏切の東側なので却下される。またAも128m以上西に離れているのでやはり却下されるだろう。以上から,@が本当の駅跡地だと思われる。ここまでダラダラ書いた挙句にこんな結論になってしまい,読み進めていただいた読者の皆様には非常に申し訳ない。お詫びとして,とにかく撮りまくった写真のうち,ここに載せるのを@に関係するものに厳選することでお許しいただけたらなぁ,と思う。

 

追記(2014年2月)

その後、さらに調べたところ、本当のホーム跡地は、@の向かいにある斜面(写真1の線路右側、写真3の線路左側)だった可能性が出てきた。結論はさらなる調査に委ねるが、もしそれが事実だった場合は、重ね重ね申し訳なく思う。


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