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  智東(JR北海道・宗谷本線)

1.駅跡地(名寄方面をのぞむ)

 

2.旧駅舎跡地(のはず)

 

3.駅跡前通り

 

4.集落から智東駅へと至る小道の跡(のはず)

 

5.智東駅周辺で唯一の建物(使途不明)

【駅概略】 ※2006年3月18日廃止

JR宗谷本線の日進−北星間にあった無人駅。日進駅から4.7kmの地点にあった。かつては交換設備があり,駅山側(北東側)に設けられた木造駅舎には駅員も配置され,全普通列車が停車していた。しかし駅周辺の過疎化は著しく,利用者が激減したため,JR移行時に臨時駅に格下げされ,冬季には駅周辺の道路が除雪されないこともあって全列車が通過するようになった。駅舎も駅川側(南西側)に小さな貨車タイプのものが置かれるだけとなっていた。ついには周囲は山に囲まれて畑地と原野が広がるだけの完全な無人地帯となり,利用者が1日1人未満と極端に少なくなったことから,2006年3月のダイヤ改正で正式に廃止された。冬季は全列車通過扱いだったため,実質的に最終営業日は2005年11月30日だった。国土地理院のホームページで公開されている地図には今も記載されている(2006年10月現在)。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

智東(ちとう)

所在地

北海道名寄市智恵文智東
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1924年6月1日

乗降客数

駅名のルーツ

旧・智恵文村(現・名寄市)の東部に所在したことによる。

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1925年4月

4.5往復(駅)

1944年12月

下り5本,上り7本(駅)

1956年12月

7.5往復(駅)

1968年12月

7.5往復(駅)

1987年4月

6.5往復(臨時駅)

2006年1月

2往復(臨時駅,冬季通過)

 

【訪問記】(2006年10月)

木の板を並べただけの簡素な日進駅のホームに降り立ち,その割には立派な駅舎の中で昼食を済ませた後,西に向けて歩き始めた。すぐの十字路を右に折れ,今度は北に向かう。道路標識があり,今から向かうべき場所までの距離が「4.2km」と知れる。

橋を渡る。右に分かれる小道がある。分岐点に看板が出ている。「日進・智東遺跡群」とある。古の時代にこの地に住んでいた人々がいるらしい。さらに歩く。ちょっとした坂道を下る。両側に畑地が広がっている。今歩く舗装路の向こうに胡麻粒のような人影が2つ見える。小刻みに上下している。だんだん大きくなってくる。ランニングをしている初老の男性である。お互い不審な目で相手を牽制し合う。ついにはすれ違う。もう一人,男性が走ってくる。もう一度,すれ違う。結局,もとの無人地帯に戻る。

畑地が尽きるとにわかに道幅が狭くなり,左側に天塩川が,右側に宗谷本線が,そしてその奥には山が迫ってきた。両側から攻められたような,あるいは責められたような,そんな肩身の狭い思いでさらに北上する。クマが怖いので,鈴を鳴らしたり口笛を吹いたりする。あるいは持ってきた地図を丸めてポンポン鳴らしたりする。とにかく自分の存在を必死にアピールしてみたりする。

日進駅を出て約1時間,ついに目的地である智東駅跡地に到着した。智東駅には現役時代の4年前に下車したことがある。そのときの記憶を思い出しつつ,廃止後の様子を観察してみる。

まずはホーム。もともと砂利のホームに貨車タイプの駅舎があるだけの簡素な造りだったが,駅舎は取り除かれ,ホームも一部を残して取り崩され,無残な姿をさらしている。

・・・・・・。「まずは」で書き出したのに,これ以上書くことがないことにいま気づいた。ので,4年前との比較はこれでやめることにして,さっさと次の興味に移ることにする。

まずは30年前の智東駅の面影を探ることにする。当時は2面2線のホームと木造駅舎があり,駅員も配置されていたという。しかもその木造駅舎は廃止間際の貨車駅舎とは逆の山側(北東側)にあったという。30年前に撮影された空中写真にも確かにくっきりと写っている。写真を参考に周囲の状況をうかがっていると,末期には剥がされていたもう1線が敷かれていたと思われる細長い空き地や,木造駅舎があったと思われる場所(写真2)を特定できた。

次に,その木造駅舎から集落へと至る道を探してみる。廃止間際には駅南西を走る舗装路側からしか駅へのアクセス道はなかったのだが,当時は山側にあった木造駅舎からそのまま山際(線路の北東側)をつたって集落へと至る道があったという。空中写真でもそれは確認できるので,その辺りを捜索してみる。・・・が,今は完全に藪に覆われていて,痕跡は全く分からなかった。

いったん舗装路(写真3)に戻り,さらに北上する。あとは時間の許す限り,周囲に開けていたはずの智東の集落の痕跡を探ることにする。昔は小学校を有するほどの集落があり,多くの地元住民が智東駅を利用していたというが,その後民家が激減して現在に至るという。30年前の段階でもすでに建物はほとんど写っていないが,現在ではそれすら消え失せ,完全な無人地帯となっている。舗装路を北上しながら周囲を見回すも,集落跡の匂いなど微塵も感じられない。

ついには宗谷本線と交わる踏切まで来た。空中写真にはこの踏切を越えてすぐから右に入る山道が写っている。智東駅から山際をつたって集落に至っていたという道はここまでつながっている。駅側からはよく分からなかったが,こちらから向かえばそのまま駅までの小道を発見できるかもしれない。途中で藪に通せんぼされても,とにかくこの山道の先には何かがあるに違いない。というわけで,いかにもクマが出そうなこの山道に入っていく。

案の定,両側に木々や藪が迫る薄暗い道である。一歩一歩,恐る恐る進んでいく。・・・と,いきなり道が左へとほぼ直角に曲がる場所に来た。現在の地図ではこれで1本の道であるかのように描かれているが,空中写真によるとここはその昔十字路だったようだ。直進すれば智東駅に至り,右に折れれば川沿いを行ってさっきの舗装路に至る。その両方が今や自然に還っていて,1本の道のようになってしまったようだ。昔のようにどうにかして直進して智東駅に至ってやろうとしたが,立入禁止の×印を提げた木の柵があってこれ以上の直進を拒否している(写真4)。奥のほうを覗き込むと,確かにこのまま真っ直ぐ道が続いていそうな不自然な空間が細長く藪の中に認められたが,知らなければ単なる藪にしか見えないぐらいにまで自然に還ってしまっている。

右も藪と化していて行けないので,道なりに左に行ってみる。地図によると,この先には智東駅跡周辺で唯一の建物のマークがある。もしかすると智東の集落の中で唯一今も頑張って自立している建物かもしれない。・・・そんなことを考えながら山道を登っていくと,程なくしてお目当ての建物が見えてきた(写真5)。

何かの作業場のように見える。地図ではすぐ横に池のようなものがあるので,養殖場のようにも見える。錆びた自動販売機やタイヤなんかが置いてあるので,不法投棄場のようにも見える。いったいぜんたい何なのか,正体を特定しにくい代物であるが,最近は人の手が全く入っていないことだけは確かなようだった。

ここで時間切れ。今来た山道を,そして舗装路を,急いで引き返し始める。結構歩き回った割には大した収穫もなく,ぱっとしない訪問だったが,憧れの智東の地をこれだけ存分に歩き回ることができた,ただそれだけで十分楽しく,何だかいとおしくなるような,そんなひと時だった。


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