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  我科(三信鉄道)

1.温田方面をのぞむ

 

2.平岡方面をのぞむ

 

3.線路に向かって左手に見られるホームへのアクセス道跡(のはず)

【駅概略】 ※1943年8月1日廃止

三信鉄道(現・JR東海飯田線)の為栗−温田間にあった停留場。温田駅からわずか1.3kmしか離れていなかったのが災いしたのか,1943年8月に三信鉄道が買収・国有化されて国鉄・飯田線となった際に廃止された。跡地には石積みのホームが残っている。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

我科(がじな)

所在地

長野県下伊那郡泰阜村我科
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1936年4月26日

乗降客数

駅名のルーツ

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1940年10月

?往復(停留所)

1942年11月

?往復(停留所)

 

【訪問記】(2009年9月)

豊橋駅から飯田線に乗って田本駅で下車し,山道を登って田本の集落に入り,そこから広い舗装路を南下して温田駅に至り,飲料を調達してからさらに南へと歩き始める。次に目指すは,「我科」という名の集落である。

飯田線といえば,田本駅に代表されるような秘境駅で有名だ。周囲に何もなく,車では到達できないようなとんでもない山奥の小駅が今も現役で頑張っている。そんな駅を現代まで残しているくらいだから,飯田線は駅の廃止とは無縁そうだが,そんな中で我科の集落にあった「我科」という駅(正確には停留場)が戦時中の1943年に廃止されていたことを最近知った。地図を見る限り,我科の集落にはそれなりの民家があり,田本駅よりずっと利用客が見込めそうだから,いまいち合点のいかない廃止ではある。隣の温田駅から近く,道路も整備されていたのが災いしたのだろうか。飯田線で廃止されずに生き残るには,車でのアクセスが悪いほうが有利なのかもしれない。

そんな哀れな我科駅に哀悼の意を示すべく,現地を訪れてみようと思う。出発前に,営業キロをヒントに地形図上で我科駅のあった場所を推定して赤丸をつけておいた。ちょうど飯田線が我科の集落の辺りで最も西に張り出すところである。

温田駅から5分も歩くと,左に分かれる小道がある。それに入ってしばらく歩き,小さな橋を渡ると,我科の集落が開けてきた。地形図に赤丸を付けておいた場所に行ってみると,果たして我科駅のホーム跡が姿を現した(写真1,2)。温田駅からここまでわずか20分。やはり近い。

廃止されて60年以上になるが,石積みのホームはしっかり残っている。ホーム上は背の高い雑草で覆われており,探索は困難だ。現役時代の遺構が残っていないか,無理やり体をねじ込んで探索を試みたものの,何も見つからないまま,わずか3分であきらめてしまった。

それにしても,ホームの位置が気になる。温田寄り100mぐらいのところに第4種踏切,為栗寄り100mぐらいのところに第1種踏切があり,両者のちょうど中間あたりに駅があったことになるが,どちらからもやや離れた,中途半端な位置にあるような気がしてならない。ホームのある場所から直接下の道路に降りる階段があったような気配も痕跡も見られない。現場の状況から判断するに,温田寄りにある第4種踏切から線路沿いを歩いてホームに到達していた(写真3)と思われるが,どうせならこの踏切のすぐ横に設置すれば良かったのに,と思う。線形的に問題があるようにも思われないし,そのほうが利用者にとっても便利だったに違いない。ホームの痕跡が明瞭なだけに,ホームの位置が妙に引っかかる廃駅跡だった。


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