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  上横江(富山地方鉄道・立山線)

1.駅跡地(立山方面をのぞむ)

 

2.駅跡地(岩峅寺方面をのぞむ)

 

3.駅跡前通り

 

4.駅跡地を通過する普通電車(立山方面をのぞむ)

【駅概略】 ※1997年4月1日廃止

富山地方鉄道岩峅寺駅から立山方面に2駅,3.9kmの地点にあった駅。開業時は「横江駅」と称していたが,0.6km岩峅寺寄りに現・横江駅が開業したのを機に「上横江駅」と改称された。横江の集落から離れていたこともあり,利用者は非常に少なく,普通列車でも通過するものがあった。そして1997年に廃止された。駅跡地にはホームが残っている。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

上横江(かみよこえ)

所在地

富山県中新川郡立山町横江
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1921年10月11日

乗降客数

0人(1995年現在,1日平均)

駅名のルーツ

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1925年4月(横江駅)

3往復

1944年12月(横江駅)

15.5往復

1956年12月(横江駅)

?往復

1968年12月

?往復

1987年4月

?往復

1993年4月

?往復

 

【訪問記】(2010年5月)

思いのほか味わい深い横江駅で下車し,目の前を走る県道6号線を東に向かう。目指すは1997年に廃止された上横江駅の跡地である。横江駅から立山方面に0.6qの地点にあったという情報をもとに位置を推定し,地図に赤丸をつけてきた。

しかし,我ながらその赤丸の位置が信じられない。駅はまとまった集落の近くに設置するのが普通だ。さっき降りた横江駅はまさに横江の集落に接して設けられている。しかるに,上横江駅跡地と推定される赤丸の周りには建物の記号が一切ない。常願寺川と尖山に挟まれた狭い小平地に田と荒地と広葉樹の記号があるだけだ。なぜこんなところに駅を設けたのか。

歴史を調べてみると,立山線が立山駅に向けて少しずつ延伸する過程で,1921年10月にこの上横江駅まで到達した。当時は「横江駅」と称し,1923年に千垣駅まで延伸開業するまでは終着駅だったらしい。このときは,現在の「横江駅」は設置されていない。推測だが,立山を目指して少しずつ路線を伸ばす際に,ある程度広くて平らな土地があるこの場所に,いわば仮の終着駅のような形で開業したのではないだろうか。

1965年に現在の横江駅が集落に接して開業すると,こちらは「上横江駅」と改称された。集落に近い横江駅に利用者が流れ,こちらは廃れていっただろうことは想像に難くない。1995年の統計では,1日平均乗降客数はなんと0人を記録している。これは,固定客は全くいなくなったことを意味している。駅としての存在意義を失った上横江駅は,1997年に廃止されてしまった。

そんな哀れな駅の跡地を探るべく,県道を東に歩く。0.6kmしか離れていないので,すぐに赤丸の地点に到着した。

県道から線路に向けて,あやしげな草道が出ている(写真3)。これがかつての駅前通りだろうか。草をかき分けかき分け進むと,立山線の線路が現れ,その南側にホームの跡が姿を現した(写真1)。ここが上横江駅の跡地に違いない。

ホーム跡と線路は少し離れている。往時はこのスペースにも線路が敷かれていたに違いない。また,線路の北側にも雑草に覆われた小高い盛土のようなものがあり,こちら側にもホームがあったと思われる。となると,昔は2面2線の駅だったことになる。かなりの想像だが,ここが終着駅だったころは,ここまで電車で来た観光客が,バスなどに乗り換えて立山に向かっていたのではないだろうか。

駅跡地から立山方面をのぞむ。ホーム跡が尽きたあたりから線路がかなりの上り急勾配になっていることが分かる。一方,岩峅寺方面をのぞむと,こちらもホーム跡が尽きたあたりから線路が見えなくなり,かなりの下り急勾配になっていることが分かる。すなわち,上横江駅は,かなりの急勾配の途中に,わずかな平地を見つけて(ある程度整地して?)設置していたことになる。やはり上横江駅は,立山まで線路を伸ばす過程で,前線基地のような形で設けられたのではないだろうか。

どんな形であれ,ここに駅があったことには変わりない。駅跡地に隣接する田畑では,おばあちゃんが農作業に精を出している。こんな山深く,わずかに田畑が広がるだけの無人地帯に駅があったなんて,にわかには信じがたい。しかし,ホームの跡がちゃんと残っていて,不信感をぬぐってくれる。私は上横江駅跡地がすっかり気に入ってしまい,時間の許す限りここで往時に思いを馳せた。


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