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  応神御陵前(近畿日本鉄道・南大阪線)

1.ホーム跡地(のはず)を通過する準急電車(藤井寺方面をのぞむ)

 

2.駅舎跡地(と思われる一画)

 

3.駅跡地(のはず)遠景(古市方面をのぞむ)

【駅概略】 ※1974年7月20日廃止

近鉄南大阪線の藤井寺−土師ノ里間にあった駅。藤井寺駅から1.1kmの地点にあった。開業の時期からして御陵参拝者の便を図って設置されたと思われるが,戦時中に営業休止,その約30年後に正式に廃止された。現在,跡地に明瞭な痕跡は見当たらない。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

応神御陵前(おうじんごじょうまえ)

所在地

大阪府藤井寺市沢田2丁目
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1924年6月1日(大阪鉄道御陵前駅として)

乗降客数

駅名のルーツ

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1925年4月

?往復

1944年12月

?往復

1956年12月

(営業休止中)

1968年12月

(営業休止中)

 

【訪問記】(2009年10月)

後醍醐天皇を追って船上山から神戸・湊川を経て吉野に向かう途中,藤井寺に立ち寄った。この辺りは古墳などが無数にあり,古代の香あふれるエリアである。

近鉄南大阪線の土師ノ里駅で下車。「土師ノ里」という駅名からして古代の香りがして,襟を正すような気持ちになる。地図を見ながら,国府遺跡,允恭天皇陵,鍋塚古墳,仲津姫皇后陵,古室山古墳をまわる。いずれも,迫りくる宅地化の波に必死に抵抗して何とか領土を守っている史跡である。

その途中,近鉄南大阪線にあったという「応神御陵前駅」の跡地に寄ってみようと思う。つい最近,とある文献で存在を知った廃駅である。出発前に,営業キロをもとに跡地を推定して地図に赤丸を付けてきた。藤井寺−土師ノ里間の中央やや土師ノ里寄り,T字路に接する踏切の辺りである。

古室山古墳から北西に向かい,問題の場所に到着した。西名阪自動車道や国道170号線や町工場や集合住宅や一戸建て住宅などなどが入り混じるエリアである。到着するや,まずは営業キロの確認をする。踏切の周囲を注意深く見ると,白地に黒字で「藤井寺 第5号」「14粁906米」と書かれた木柱が立っていいる。一方,件の文献によると,応神御陵前駅の営業キロは大阪阿部野橋駅から「14.9km」とある。ぴったりだ。ここに違いない。

安心して観察に入る。踏切の南西側には,フェンスで囲われた一画があって,「立入禁止」の札がかかっている。その中には集合住宅のような瀟洒な2階建ての建物がある(写真2)のだが,これじゃ中に入れない。勝手な想像ながら,ここは昔の駅舎跡地で,今も鉄道会社(すなわち近鉄)の管理下にあり,中の建物はその社宅あるいは詰所ではないかと思われた。

ホームの痕跡を求めて,線路際を注視してみる。・・・も,雑草が生い茂るのみで,よく分からない。駅跡地のすぐ西を通る国道170号線が近鉄南大阪線を高架で跨ぐ場所に併設された歩道橋から跡地をのぞき込んでも(写真3),やっぱりよく分からない。あえなく諦めた。

 

これにて探索は終了だが,「応神御陵前駅」という駅名からして,その跡地に来たからには,御陵を表敬訪問しておきたい。ので,往時の利用客を気取って,今から御陵に参拝に行こうと思う。御陵には2007年にも参拝したことがあるので,約2年ぶりの再訪となる。

駅跡地から南に向かい,西名阪自動車道の下をくぐってさらに南下すること約5分,御陵入り口に到着した。砂利が美しく敷き詰められた参拝道が,完璧なまでに手入れの行き届いた生垣に沿って,清々しく御陵へと続いている。2年ぶりに参拝した応神御陵は,2年前と変わらず荘厳な雰囲気にあった。


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