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  心岳寺(国鉄・日豊本線)

1.駅跡地(隼人方面をのぞむ)

 

2.駅跡地(鹿児島方面をのぞむ)

 

3.駅跡地を通過する普通列車(隼人方面をのぞむ)

 

4.平松神社

【駅概略】 ※1967年8月1日廃止

国鉄日豊本線の重富−竜ヶ水間にあった仮乗降場。重富駅から4.6kmの地点にあった。毎年8月,9月に行われる平松神社大祭の時期に限り営業していたが,1967年に廃止された。現在,跡地にはホームが残されている。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

心岳寺(しんがくじ)

所在地

鹿児島県鹿児島市吉野町
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1908年7月28日

乗降客数

駅名のルーツ

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1925年4月

?往復

1944年12月

?往復

1956年12月

?往復

1967年4月

?往復

 

【訪問記】(2010年2月)

720年に起きた隼人の反乱による死者を弔うために建立されたとも言われる隼人塚を訪れたのち,歩いてすぐのJR隼人駅から普通列車に乗車。重富駅で下車し,駅前からいわさきバスに乗り込んで国道10号線を行くこと約10分,「平松」バス停で下車した。

バス停から国道を今来たほうへ少し戻ると,日豊本線の線路の向こうに平松神社の鳥居が見えてくる。その手前には「史跡 心岳寺跡」と大きく書かれた看板があり,心岳寺跡についての解説板もある。このサイトのテーマはあくまで鉄道であり,神社や寺院といった歴史的建造物を大々的に取り上げるのは如何なものかと思うけれど,今回ばかりは本題と密接な関係があるので,しばらくの間この解説板にお付き合いいただきたい。

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 心岳寺は,島津家第15代島津貴久の三男歳久を弔うために曹洞宗福昌寺の末寺として慶長4(1599)年兄の第16代島津義久によって歳久が自害した場所に創建された由緒ある古刹であった。境内には,歳久とその殉死者及び歴代僧侶その他の石塔があり,藩政時代の寺地の一部を残す貴重な史跡である。
 歳久は【途中略】豊臣秀吉の薩摩侵攻に際しては最後まで抵抗したため,天正20(1592)年7月18日に自害するに至った。
 往時は「心岳寺詣り」と称する旧暦7月18日の祭礼には多くの参拝の人々でにぎわった。しかし,明治2(1869)年の廃仏毀釈によって廃寺となり,翌年平松神社が建立されて現在に至っている。
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鳥居をくぐって中に入る(写真4)。狭い境内ながら古色蒼然とした本殿がある。一画には歳久の墓地もあり,侵しがたい雰囲気を醸し出している。周囲には私のほか誰もいない。往時は「心岳寺詣り」でにぎわいを見せたというが,そういった光景を思い浮かべるのが困難なほど静まり返っていた。

平松神社を出て,国道を南下する。10分ほど歩いて平松の集落を通り越すと,右手に道が分かれている。手持ちの地形図から察するに,この先にある採石場へと通じているようだ。

この道が国道と分かれてすぐのところ,ちょうど日豊本線の線路と接する位置に,駅のホームが残っている(写真1)。駅のホームにしては異様に低いように感じられるが,まぎれもなくホームである。前置きが長くなったが,ここが今回の目的地・心岳寺駅跡地である。

心岳寺駅は毎年8月,9月に行われる平松神社大祭の時期に限り営業する仮乗降場として1908年7月に開業したが,1967年8月に廃止された。・・・・・・残念ながらこれが心岳寺駅に関して私が知りうる情報の全てである。平松神社に寄ってみたことで,心岳寺の歴史を知り,「心岳寺詣り」が流行したことまでは知ることができたが,
○平松神社の大祭とはいかなるものか(心岳寺詣りと似たようなもの?)
○なぜ駅名が「平松」あるいは「平松神社」ではなく「心岳寺」なのか(駅の設置時には心岳寺はすでに平松神社になっていたはずだ)
などなど,抱いていた疑問は一つも解けなかった。

それどころか,もう一つの疑問がより鮮明になった。駅跡地が平松神社からかなり離れているのである。大祭を見に行くにしても,やや不便だ。訪問前に隣の重富駅からの営業キロを参考に跡地を推定したときも,「あれ,おかしいな?平松神社よりかなり南になるな」と不思議に思っていた。現地を見る限り,駅を設置できそうな場所はもっと神社に近いところにいくらでもある気がする。なぜこんな平松神社からも平松の集落からも離れた場所に駅を設置したのだろうか?

腑に落ちないが,まぎれもなくここにホームの痕跡がある。あまりにはっきりと残っていて,否定のしようがない。しょうがないので,採石場に向かう途中の跨線橋の上からホーム跡を観察してみる(写真2,3)。意外に長いホームであること,また海沿いで用地がないからか,ホームがかなり細くなっていることが分かる。

そんなことが分かったところで上記の疑問が解けるわけでもないし,これ以上ここにいても新しい情報を得られるわけでもなさそうなので,これで心岳寺駅跡を去ることにする。今来た道を国道まで戻り,再び国道を南下し始めた。次に目指すは竜ヶ水駅である。


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