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  新垂井(国鉄・東海道本線)

1.関ヶ原方面をのぞむ

 

2.ホーム跡

 

3.駅跡前広場

 

4.駅跡を通過する特急「しらさぎ9号」(大垣方面をのぞむ)

 

5.大石区住宅案内図(「新垂井駅跡」「バス停」の文字が見える)

【駅概略】 ※1986年11月1日廃止

東海道本線の大垣−関ヶ原間にあった駅。この区間には急勾配があり,輸送上のネックとなっていたため,戦時中に輸送力増強を図って勾配の緩い下り線専用路線が建設され,その途中に設置された。これに伴い,従来線上の垂井経由の下り列車は廃止,垂井駅は上り列車,新垂井駅は下り列車のみが停車するようになった。垂井駅と新垂井駅を連絡するバスも運行されたが,町はずれにある新垂井駅の不便さは否めず,戦後になって垂井経由の下り列車が復活,垂井駅の利用者が増加し,垂井駅経由の下り列車がだんだん増加する一方で,新垂井駅経由の下り列車は減少し,駅の利用者も減少していった。こうしてついに1986年,廃止されるに至った。現在,駅跡地はホームがほぼそのまま残されている。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

新垂井(しんたるい)

所在地

岐阜県不破郡垂井町大石
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1944年10月11日

乗降客数

駅名のルーツ

「垂(タル)」は古語で滝のことをいう。「樽」と同義で,底の深い地形からつけられた地名。

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1944年12月

下り13本(垂井駅との連絡バスあり)

1956年12月

下り15本

1968年12月

下り12本

1979年8月

下り7本

1982年6月

下り7本

 

【訪問記】(2009年9月)

JR東海道本線の垂井駅で下車。改札を出て,地図を片手に北へ向かう。町中では「中山道垂井宿祭り」が開催されており,賑わいを見せている。

途中,南宮御旅神社あたりにある国指定史跡・美濃国府跡に立ち寄ってみる。最近指定されたばかりの史跡で,真新しい案内板が立っている。この辺りの地名は「府中」である。

これまた地区の秋祭りの準備で賑やかな南宮御旅神社を出て,さらに北へ向かう。「府中」交差点を越えて左に折れ,町はずれののどかな田園地帯を道なりに進むと,踏切が現れた。ここが今回の目的地・新垂井駅跡である。

新垂井駅の数奇な運命については,ここで改めて解説する必要もなさそうだけど,やっぱり触れておかねばならない。

東海道本線の大垣−関ヶ原間(垂井経由)には急勾配区間があり,輸送上のネックとなっていた。戦時になり,輸送力増強のために勾配の緩い下り線専用路線を建設することになり,その途中に設けられたのが新垂井駅だった。この際,従来線上の垂井経由の下り列車は廃止され,垂井駅は上り列車,新垂井駅は下り列車のみというように完全に運行系統が分離されてしまった。新垂井駅には申し訳ないが,垂井駅周辺の住民からすれば有難迷惑な新駅の開業だったろう。

新垂井駅の開業にあわせて,垂井駅と新垂井駅を連絡するバスが運行されるようになったものの,やはり不便さは否めず,戦後になって垂井経由の下り列車が復活した。すなわち,上り列車はすべて垂井経由,下り列車は垂井経由と新垂井経由の2系統である。こうなると,町の中心部にある垂井駅のほうが利用者が多くなり,垂井駅経由の下り列車が本数を増していく。それと引き換えに,新垂井駅経由の下り列車は減っていく。それに比例して利用者はどんどん減っていく。こうしてついに1986年,新垂井駅は廃止されたのだった。

町はずれにある不便な新垂井駅を利用させられ,また新垂井駅のせいで垂井駅の下り列車本数が減らされた垂井の住民の苦労や不便が偲ばれるが,一番哀れなのは実は新垂井駅自身のようにも見える。戦時対応でやむなく産声を上げたもののあまり歓迎されず,若くして最期を迎えたのだから。今日はじっくり時間をかけて墓参りをしてやろうと思う。

まずは駅舎跡地。昔はここに駅舎があったというが,今は手前にアスファルトとその奥に草むらと化した空地があるのみで,痕跡は全く見当たらない。そう思いながら草むらを掻き分けていくと,白い建物(保線小屋?)と線路の間あたりに階段のようなコンクリート製の構造物を発見した。現役時代にホームと駅舎をつないでいた階段かもしれない。

そこからホームに上がってみる。東海道本線らしく,非常に長いホームが伸びている。駅舎跡地と違って草が生い茂ることもなく,非常に歩きやすい。わざわざ草刈りなどの管理をしているのだろうか。

ホーム西側にある踏切に戻る。・・・と,踏切横の白いボックスに「大石踏切 421k458m」と書いてあるのが目に留まった。今回の訪問にあたって,まず古時刻表の営業キロを参考に新垂井駅のあった場所を現在の地形図上に落としてみたのだが,明らかにあり得ない場所になってしまった。「変だなぁ,おかしいなぁ」と思案していると,新垂井駅の営業キロは垂井駅のそれと同じになっていることに気づいた。考えてみれば当然だ。垂井駅と新垂井駅は運賃計算上は同じ駅扱いのはずだから。新幹線の営業キロが実キロは違えど在来線の営業キロに合わせてあるのと同じことだろう。とにかく,営業キロ≠実キロなので,古時刻表は使えない。結局,当時の空中写真を凝視してホームらしきものを発見(最初からこうすれば良かった・・・),このたびめでたく訪問と相成ったのだが,この「421k458m」という値は,垂井駅経由の営業キロに合わせたものではなく,実キロのようである。私と同じく,営業キロを頼りに位置を特定しようとする人がいるかどうか分からないが,一応記しておく。

大石踏切から少し北へ歩くと,十字路の一角に大石公民館があり,「大石区住宅案内図」が立っている。それを何気なく見ていて,あっと驚いた。なんと,駅のあった位置にわざわざ「新垂井駅跡」と書いてあるではないか。

「新垂井駅跡」という文字の並びは等間隔で無理がないことから,現役時代からあったこの案内図に駅廃止後,無理やり「跡」の一文字を足したのではなく,もともとあった「新垂井駅」の文字を駅廃止後にいったん消して新たに「新垂井駅跡」と書き入れたか,駅廃止後に作成したこの案内図に「新垂井駅跡」と書き入れたか,どちらかだろう。いずれにせよ,もう営業していない廃駅の位置をわざわざ示したことになる。その意図はよく分からない。よく分からないけれど,新垂井駅に対する地元住民の愛情が伝わってくるようではある。さっき「新垂井駅はあまり歓迎されず,哀れな死を遂げた」なんて書いたけれど,少なくとも駅にごく近いこの大石地区の住民には大切にされていたんだなぁという気がしてきて,なんだかほっこりした気分で,1時間前に来た道を引き返していった。


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