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  国鉄・足尾線(間藤−足尾本山)

  1.間藤駅から本山方面をのぞむ   2.はっきり残る路盤跡

 

  3.踏切が残る   4.3.から本山方面をのぞむ

 

  5.鉄橋跡   6.炭住の背後にトンネルが走る

 

  7.旧精錬所

  8.旧精錬所に進入する廃線跡

 

9.足尾本山駅

【路線概略】 ※1989年3月29日廃止

国鉄足尾線(現・わたらせ渓谷道)・間藤駅からさらに先に伸びていた貨物専用線。もともと足尾銅山の生産物を運搬するために建設された足尾線は,間藤までは旅客も扱い,末端の間藤−足尾本山間は貨物専用線として営業していた。しかし1973年に足尾銅山は閉山,1987年には精錬所関連の貨物輸送もなくなり,この区間は休止扱いとなった。そして国鉄足尾線がわたらせ渓谷鐵道に転換されるにあたり,廃止された。わたらせ渓谷鐵道は同区間の免許を取得し,観光路線としての復活も考えていたが,10年後に免許は失効し,復活は絶望的となっている。

 

【路線データ】 ※現在は廃止

区間

間藤(まとう)−足尾本山(あしおほんざん)
路線周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

営業キロ

1.9km

開業

1914年8月25日(足尾鉄道として)

運行本数

平日で?往復(貨物列車のみ)

廃止

1989年3月29日

 

【訪問記】(2005年10月)

わたらせ渓谷鐵道・間藤駅に到着。ここから足尾本山まで廃線跡に沿って歩いてみようと思う。

まずは間藤駅のホームに立って,本山方面をながめてみる。草に覆われているものの,確かにこの先にも線路が続いていきそうな雰囲気がある(写真1)。

いったん車道に出て,線路沿いに北上する。途中,線路側に向かって入っていく小道があり,廃線跡歩きの基本として入ってみる。すぐに廃線跡をまたぐ跨線橋にたどり着き,はっきりと分かる路盤跡を見下ろせた(写真2)。

さらに北上すると,廃線跡はいま歩いている車道と交わる。そこには踏切があり,線路は舗装されて見えなくなっているものの,警報機が残っている(写真3)。「車はよく通るけど列車はめっきり来なくなったなぁ」とぼやいているように見えた。

そこから本山方面を眺める(写真4)。線路は撤去されずに残り,その先に鉄橋も見える(写真5)。廃線跡歩きとは宝探しのようなものだと思っているので,これほどあからさまに廃線跡が残っていると逆に面白くないなぁと思ってしまう。

廃線跡を渡良瀬川の対岸に見つつ,こちらは車道をさらに北上する。途中,明治時代の水力発電所の跡なんていうものもある。今は山間の寂しい集落に過ぎないけれど,足尾銅山とともに近代産業を牽引してきた先進の地であることがうかがえる。

その,車道沿いに広がる集落の味わい深いことといったらどうだろう。昔は銅山で働く人々で大いに賑わったはずだが,今は往時を偲ぶべくもない。民家や商店はうらぶれ,あるいは廃墟と化し,昭和に引き戻されたような感覚に陥る。

しかし,それがよい。廃線跡のことなどすっかり忘れて集落散策を楽しむ。賢明なことに足尾町はこれらを観光資源と考えているらしく,ポイントごとに案内板が設置されている。特に南橋や深沢といった集落では,廃墟となった炭住群が圧倒的な迫力をもってこの地の壮大な歴史を雄弁に語ってくれる。ここが日本の近代化の原動力になったことを再認識し,感謝の念を新たにした。

しかし,その一方で,目の前には見るも無残なはげ山が広がっている。足尾をひときわ有名にした鉱毒事件をこちらは無言で今に訴えかけている。植林をしているというが,もとの緑豊かな山に戻すにはまだしばらく時間がかかりそうだ。

さて,廃線跡探索に戻る。味わい深い炭住の背後をトンネルで抜けた廃線跡(写真6)は,足尾本山駅のあった旧精錬所(写真7)へと進入していく(写真8)。旧精錬所の中を見てみたいが,まだ何かに使われているらしく,さすがに気が引ける。そこで廃線跡が突入していった辺りに狙いを定め,坂を駆け上がっていった。

すぐ目の前に足尾本山駅らしき構造物がある。しかし,鉄扉が通せんぼをしていて中には入れない。それでも隙間から何とか中の様子をうかがってみると,木造の施設や赤錆びた線路,崩れかけたホームなど実に味わい深い光景が目に飛び込んできた(写真9)。おそらくは現役時代そのままなのだろう。

ここで時間切れ。すぐ近くの「赤倉」というバス停から足尾町営バスに乗り,日光に抜けることにする。バスを待っている間,近くにおられた住民の方に話を聞いてみた。「あの建物(旧精錬所)は今も使われているんですか?」「うん,使われてるよ。けど,何をしているかは分からんなぁ。」


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