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  姫路市営モノレール線(姫路−手柄山)

  1.姫路駅跡地

  2.雑居ビル上に橋脚が残る

 

  3.大将軍駅跡   4.船場川沿いを南下(山陽新幹線の下をくぐる)

 

  5.ほぼ完全に残る軌道跡1

  6.ほぼ完全に残る軌道跡2

 

  7.空地に盛土が残る

  8.手柄山駅への侵入口跡

 

 

 9.引き上げ線跡地(奥に手柄山駅ホームにつながる扉が見える)

 

 

 10.手柄山から見た軌道跡全景

【路線概略】 ※1979年1月26日廃止

姫路市内をわずか8年間だけ走っていたモノレール線。1966年に開催された姫路博覧会における輸送対策として同年に姫路−手柄山間が開通した。将来的には延伸も計画されていたが実現にはいたらず,手柄山への観光客輸送も博覧会閉幕後は不振に陥って,1974年には営業休止となり,1979年に正式に廃止された。軌道の遺構は今も随所に残されている。

 

【路線データ】 ※現在は廃止

区間

姫路(ひめじ)−手柄山(てがらやま)
路線周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

営業キロ

1.6km

開業

1966年5月17日

運行本数

平日で?往復

廃止

1979年1月26日

 

【訪問記】(2008年10月)

兵庫県の西のほうに姫路という都市がある。人口は50万を数え,山陽新幹線が通り,のぞみも停車するほどの大きな町である。

その姫路に,8年間だけモノレールが走っていたことは案外知られていない。生まれる前の話なので私も知らなかったが,JRで姫路付近を通過するたび気になるものがあった。姫路駅のやや西,JR線を跨ぐようにかかるトラス橋である。赤茶けたこの橋,現在の地図を見てもそんなところに道路や鉄道路線はないし,いかにも廃線跡といった雰囲気で,調べてみたらその昔姫路にモノレールが走っていた,その遺構という。都市部で建設されたモノレールが廃止されるというのは非常に珍しい。さらに調べていくと,どうも中途半端に建設されたのが悲運の端緒だったようだ。その痕跡はトラス橋以外にも市内の各所に残っているというし,短い路線だったから廃線跡をたどるにも具合が良い。

・・・といった感じのことを,愛宕山鉄道の廃線跡を一緒にたどった奇特な同行者2人に解説していると,またまた奇特なことに「じゃあ今度は姫路モノレールの跡を」ということになり,またまた3人で探索に繰り出すことになった。

さわやかな秋晴れの休日,新快速電車で姫路に向かう。参考文献のコピーを車内で同行者に配り,今回のターゲットの予習をするよう促したりしているうちにも電車は快走し,10時ごろ姫路駅に到着した。さっそく駅を飛び出し,まっすぐ目の前に見える国宝・姫路城には目もくれず,軌道跡探索に入る。

まずはJR駅の北西側,モノレールの姫路駅があった場所に向かう。商業施設「キャスパ」の建っているところがそれで,今は駅の匂いなど微塵もない(写真1)。

そこから西に向かうと,2階建ての雑居ビルが連なる一画があり,その建物群を串刺すように橋脚が並んでいる(写真2)。これらはいわば高架下のスペースを利用して建てられていたのだろう。今は桁の部分がないので吹きっさらしの野ざらしになっている。

橋脚群に導かれるように進んでいくと,やがて大将軍駅跡に出た(写真3)。公団ビルの低層部がモノレール駅という画期的な構造だ。マンションの住民にとっては駅に直結しているのでさぞかし便利だったろうと思うが,実際には姫路駅までは歩いて行ける距離だったし,運賃も高かったからあまり利用されなかったらしい。

大将軍駅を出て左に大きくカーブすると,船場川沿いに出た(写真4)。橋脚も桁も残っていて,今にもモノレールがやって来そうだ。対岸にはレンガ造りの建物が並んでいる。「あれは何?」という質問が同行者から出る。「さっき渡した参考文献のコピーに『マッチの色素工場』と書いてある」と答える。どうやら予習時間が少なかったようだ。

さらに進むと,山陽新幹線の下をくぐり,山陽本線と姫新線を跨ぎにかかる。ここが昔から気になっていたトラス橋のある場所だ。いよいよ,と襟を正して進むも,突然軌道跡が途切れてしまった。どうも様子がおかしい。聞くところによると,姫路駅周辺の高架化事業により,あのトラス橋は撤去されてしまった由。残念だが,これも時代の流れ。仕方がない。

山陽新幹線の立派な高架をくぐり,山陽本線の真新しい高架をくぐり,まだ高架化されていない姫新線を踏切で横切ると,軌道跡が復活した(写真5)。なぜか金属部分が露出している個所もあり(写真6),議論が白熱した。

目の前に手柄山が迫ってきた。この先に軌道跡は残っておらず,宅地化が進んでいる。その一画,まだ手つかずで残っている空地をよくよく見てみると,その中央,斜めに横切るように盛土の痕跡が認められた(写真7)。軌道構造物は残っていないが,前後の線形から予想されるルート上にあるので,モノレール跡と判断して良い。モノレールの軌道に盛土が必要だったかどうかは甚だ疑問だけど。

こうして終点の手柄山に到着した。駅への突入部が扉で閉ざされツタが這った状態で残っている(写真8)。ほかにも痕跡を見つけるべく,手柄山中央公園の中を歩き回る。ホーム跡には立ち入れなかったが,引き上げ線跡地が西洋庭園風に整備されていた(写真9)。弁当を広げる行楽客に変な目で見られながらも,庭園内を歩き回り,ホームへつながる扉をのぞき込んだりした。

これにて軌道跡探索は終了。時刻はまだ12時前。姫路まで来たからには,ノーマルな観光も楽しみたい。というわけで,手柄山頂からこれまでたどってきたモノレール軌道跡の全景(写真10)を目に焼き付けたのち,今度は姫路城と姫路競馬場に向かうことにした。


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