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  日本煉瓦専用線(深谷−上敷免)

1.備前渠鉄橋

 

2.備前渠鉄橋のすぐ南に残る煉瓦橋

 

3.移設された福川橋梁

 

4.唐沢川橋梁

【路線概略】 ※1975年廃止

深谷市北部の上敷免にあった日本煉瓦の工場から国鉄・深谷駅までを結んでいた煉瓦輸送線跡。工場で生産された煉瓦はもともと利根川を利用して運ばれていたが、安定した輸送手段を求めて鉄道の建設が進められ、1895年に日本初の民間専用線として開業した。煉瓦輸送に活躍したが、1975年に使命を終え、廃止されている。線路跡はほぼ全線にわたって遊歩道になっており、容易にたどることができる。

 

【路線データ】 ※現在は廃止

区間

深谷(ふかや)−上敷免(かみしきめん)
路線周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

営業キロ

4.2km

開業

1895年

運行本数

?往復

廃止

1975年

 

【訪問記】(2011年2月)

江戸幕府の基盤確立に大きく貢献した伊奈忠次を追って、埼玉新都市交通・丸山駅近くの居館跡を訪ねたのち、内宿駅からバスで北上尾駅に出て深谷駅まで移動し、深谷市コミュニティバス「くるリン」の「北コース東循環」に乗って「新井郵便局前」バス停で下車、バス停から少し北に上がったところにある忠次がつくった「備前渠」という用水路を見物した。

ここからは、少し突飛な展開だが、日本煉瓦専用線の廃線跡をたどってみようと思う。

私がいま立っている備前渠のすぐ北に「日本煉瓦史料館」がある。昔ここに日本煉瓦の工場があり、史料館は事務所の建物だったという。工場で生産された煉瓦は、約4q離れた深谷駅まで専用線を通って運ばれた。この専用線が開業したのは1895年で、企業の専用線としては日本最古だという。また、専用線で運ばれた煉瓦は、東京駅や東宮御所(現・赤坂迎賓館)などに使われたという。あまり知られていないが、なかなか由緒のある場所だ。

史料館の裏手に回ると、備前渠を渡るガーター橋が残っていた(写真1)。備前渠鉄橋だ。煉瓦積みの橋台が美しい。備前渠の改修のため、周囲にショベルカーが入って土砂をかき回しているが、橋に手をつける気はないらしい。ひとまず安心だ。

そのすぐ南にも橋がある(写真2)。小規模ながら見事な煉瓦橋で、古びた煉瓦色が時代を感じさせる。

ここから深谷駅までは、「あかね通り」という遊歩道となっている。名前の由来のいまいちよく分からないこの遊歩道を、のんびり歩いて南下する。歩行者用と自転車用が路面の色で区分されており、意外に幅広い。道の曲がり具合など、廃線跡の雰囲気満点だ。

途中、深谷バイパスの下をくぐると、福川にさしかかる。川を渡る手前に公園があり、その一角に古びたガーター橋が横たわっていた(写真3)。「あれ、今歩いている遊歩道からも川からもずれているが・・・?」といぶかっていると、河川改修により現在地に移設された由。休憩がてら、日本最古級というこのガーター橋を心ゆくまで鑑賞した。

公園から遊歩道に戻り、深谷駅を目指す。少しずつ民家が増え、市街地に入っていく。深谷駅の直前で今度は唐沢川を渡る箇所があり、煉瓦造り風の小洒落た橋が架かっている。これも横から見ると、ガーター橋が下に隠れていた(写真4)。

ここから深谷駅までラストスパート。ほどなく、日本煉瓦にちなみ東京駅に模してつくられたという深谷駅舎が見えてきた。

廃線跡歩きはこれで終わり。あとはもとの展開に戻って、深谷から鴻巣に移動し、忠次の墓がある勝願寺を訪れようと思う。


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