ホーム 廃線跡の情景 > JR西日本・美祢枝線


  大嶺(JR西日本・美祢枝線)

1.駅跡

 

  2.駅跡近くに残る標識   3.橋台跡その1

 

  4.鉄橋跡   5.路盤跡その1

 

  6.路盤跡その2

  7.橋台跡その2

 

  8.道路に転用された廃線跡   9.南大嶺駅に侵入する廃線跡

【駅概略】 ※1997年4月1日廃止

JR美祢線の南大嶺駅から出ていた短い支線の終着駅。もともとこの支線は山陽鉄道がこの地方で産する石炭輸送のために敷設したのが始まりで,国有化された後も石炭輸送に大きく貢献していた。大嶺駅にも側線が多数敷かれていたという。しかし,炭鉱の閉山とともに貨物輸送は廃止され,細々と続けられていた旅客輸送も乗客が極端に減少したため,1997年3月いっぱいで廃止され,大嶺駅も同時に廃止された。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

大嶺(おおみね)

所在地

山口県美祢市大嶺町奥分
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1905年9月13日(山陽鉄道として)

乗降客数

駅名のルーツ

古くは美祢郡の本郷であったことからの名で,ミネとは「山嶺」のこと。

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1925年4月(国鉄)

7往復

1944年12月(国鉄)

7往復

1956年12月(国鉄)

9往復

1968年12月(国鉄)

13往復

1987年4月

8往復

1993年4月

6往復

 

【訪問記】(2006年11月)

厚狭駅から美祢線の普通列車に乗車。駅ごとに乗ってくる高校生にもみくちゃにされながら耐え忍ぶこと約25分,南大嶺駅で下車した。駅前で10分ほど待って今度は美祢市のコミュニティバスに乗り込み,「大嶺駅」というバス停で下車。ここからは大嶺支線の痕跡を探りながら南大嶺駅まで歩いて戻ろうと思う。

それにしても,さっそくこのバス停の名前が「大嶺駅」である。正確には「大嶺駅跡」だし,そもそも別に「大嶺」という名前で良さそうなものだが,はからずもバス停がこの地に鉄道が通じていたことを如実に示す格好になっている。さっそく今はなきその駅跡地に行ってみたが,真新しい郵便局が建っているのみで,あとはだだっ広い空き地が広がっていた(写真1)。

そこから南大嶺駅に向けて,路盤が分かりやすく続いている。脇に標識が残っていたり(写真2),道路をまたぐ橋台が残っていたりする(写真3)。この橋台跡近くでふと空を見上げると,目の前に広がる景色の背景を成す山並みの隙間から,くすんだ色の炭鉱跡(ボタ山?)が顔を出していた。

並行する県道を,ときに廃線跡そのものを歩きながら,さらに探索を続ける。最大の遺構と言える鉄橋跡(写真4)を見物し,農道(?)と化した路盤跡を行く(写真5,6)と,再び橋台跡を発見した(写真7)。ここまでは路盤が綺麗に管理されていて歩きやすかった(写真7左手)が,ここからはなぜか草むらに覆われていて荒れ放題(同右手)である。こんな,左右で毛色の違うこの橋台跡を遠くから,あるいは農道を行って間近から,しげしげと眺めてみた。

ここまで来ると南大嶺駅はもうすぐそこである。いよいよグランドフィナーレというところで,JR美祢線(現役)すぐ西側を並行する道路に入る。参考文献によると,この道路は大嶺支線の廃線跡が転用されたものらしい。その付近で立体交差している県道から眺めてみる(写真8)と,それが実感できる。一方で,その反対の南大嶺駅側を眺めてみると,ここまで行動をともにした大嶺支線跡がなめらかに南大嶺駅に侵入していた(写真9)。

いささかマニアックだった我々の探索もこれにて終了。駅近くにある「南大嶺」というバス停から,サンデン交通の準急バスに乗り込む。そして一路オーソドックスな観光地である秋芳洞へと向かっていった。


ホーム 廃線跡の情景 > JR西日本・美祢枝線