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  信貴山(近畿日本鉄道・東信貴鋼索線)

1.バス待合所に転用された信貴山駅跡

 


2.遊歩道に転用された線路跡(信貴山方面をのぞむ)

 

3.線路跡から奈良盆地をのぞむ

 

4.舗装路(右側の車道)に転用された線路跡

【駅概略】 ※1983年9月1日廃止

信貴山朝護孫子寺への参詣ルートとして,王寺−山下(現・信貴山下)間の平坦線と同時に開業した信貴生駒電気鉄道・鋼索(ケーブル)線の山頂駅。このケーブル線は,信貴生駒電鉄,さらには近鉄の手に渡りつつも営業を続けたが,大阪平野側から信貴山に至る西信貴鋼索線の開業や,有料道路の整備などの影響で利用客は低迷し,1983年に廃止された。現在,信貴山駅跡はバス待合所に,線路跡は下半分が舗装路,上半分が山中の遊歩道になっている。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

信貴山(しぎさん)

所在地

奈良県生駒郡三郷町信貴山東
駅周辺の地形図へ(国土地理院提供)

開業

1922年5月16日(信貴生駒電気鉄道として)

乗降客数

駅名のルーツ

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1925年4月(信貴生駒電気鉄道)

?往復

1944年12月(信貴生駒電鉄)

?往復

1956年12月(信貴生駒電鉄)

?往復

1968年12月(近畿日本鉄道)

?往復

1982年6月(近畿日本鉄道)

?往復

 

【訪問記】(2008年4月)

奈良時代後期に女帝・称徳天皇に寵愛され,皇位につこうかというところまでのぼりつめた道鏡を偲ぶべく,出身地の八尾にやって来た。その帰途,思い立って信貴山を越えてみることにした。まだ乗っていない路線もあるし廃線跡もある。今日は関西一円の私鉄・バスに乗り放題の「スルッとKANSAI 3dayチケット」を持ってきたので気軽に行ける。

近鉄に乗って河内山本駅で支線に乗り換え,信貴山口駅に到着。うらぶれたケーブル線に乗り換え,高安山駅に到着した。ここはその昔,山上の平坦線として有名な信貴山急行電鉄が信貴山門まで出ていたところである。その痕跡をたどりながら山門まで歩こうと考えていたが,すぐに「自動車専用道路につき歩行禁止」の看板にぶち当たって断念。バス停裏手にある往時のホーム跡を一瞥しただけで,おとなしくバスに乗り込む。

バスは信貴生駒スカイラインに入り,「高安山霊園前」バス停に立ち寄った後,終点の「信貴山門」バス停に到着。下車して橋を渡って朝護孫子寺に参ったのち,奈良県側に下山し始める。10分も歩くと奈良交通バスの「信貴山」バス停が現れた(写真1)。ここが25年前まで存在した東信貴ケーブル線の終着駅だったところで,駅舎がバス待合室に転用されている。近くの農園(信貴山のどか村?)帰りの団体客が待合室の内外でバスを待っていてバツが悪いが,内外をあらゆる角度から見回してみると,往時の面影を内外に大いに感じることができた。

バス乗り場の一角から,下界へ一直線に下りていく山中の遊歩道が出ている(写真1・左手中央)。これがケーブル線の線路跡で,ところどころ枕木や電柱も残るなど,往時の雰囲気をとどめている(写真2)。途中,橋梁が残っているところや,奈良盆地を見下ろせるところ(写真3)もあり,快適な廃線跡ウォークを楽しんだ。

さらに下っていくと突然上りとなり,それもすぐに尽きて西和清陵高校(旧・信貴ケ丘高校)に出た。このあたりに上下線の行き違い施設があったというが,今は跡形ない。そもそも,一瞬とはいえ,山から下るケーブル線の線路跡に上りがあるのも変だ。どうやら高校や道路その他の用地造成によって跡地は完全に破壊されたようだ。

・・・・・・と,さきほど「信貴山」バス停で待っていた団体客を満載した奈良交通バスが,私の右横の車道を駆け下りて行った。

私もあとを追って舗装路を下っていく。高校の敷地が尽きると,斜面に広がる住宅街となった。右側には2車線の車道が,左側には1車線のやや狭い車道が並行している(写真4)。ふと立ち止まって「ケーブル線の線路が通っていたのはどっちだろう」と思案し,結果「単線だったから左の狭いほうだろう」と早合点してこの道を一気に終点の信貴山下駅まで歩きくだり,もって今回の廃線跡ウォークを満足感のうちに終えた。

 

 

 

・・・・・・のだが,しかし,帰ってから気になって調べてみると,参考文献に右の2車線道路が線路跡だったとあるのを見つけて,すごくがっかりした。この世の中,知らないほうが幸せなことも多々あるらしい。


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