ホーム > 秘境駅の情景 > 東山

ホーム > 廃駅跡の情景 > 東山【現役時代の様子】


  東山(JR北海道・函館本線)

1.駅への入り口(線路左側の築堤は下記4.の加速線跡)

 

2.ホーム(函館方面をのぞむ;線路左側の築堤は下記4.の加速線跡)

 

3.加速線跡(右端にコンクリート橋台が見える)

 

4.引き込み線跡地(と思われる)

 

5.森方面から迎えにやって来た普通列車

【駅概略】 ※2017年3月4日廃止

JR森駅から函館本線を大沼回りで南へ2駅目,9.4kmの地点にあった無人駅。一般道と交差する踏切から線路沿いを100mほど行った先に1面1線の簡素なホームがあった。もともと信号場として設置されたが,途中から客扱いを行う仮乗降場の役割も果たすようになり,さらに国鉄民営化とともに正式な駅に昇格した。20パーミルの勾配にあり,昔はスイッチバックを有していたことで有名。1日平均の乗車人員が1名以下と極端に少なくなったことから、2017年3月に廃止された。

 

【駅データ】 ※現在は廃止

駅名

東山(ひがしやま)

所在地

北海道茅部郡森町駒ヶ岳
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1943年2月26日信号場として開業,1987年4月1日駅に昇格

乗降客数

駅名のルーツ

かつてこの辺りに「東山」という字名があった。アイヌ語でも人名でもない。

 

【停車本数データ】 ※現在は廃止

1950年10月

?往復(信号場兼仮乗降場)

1961年10月

下り5本,上り7本(信号場兼仮乗降場)

1968年12月

下り5本,上り7本(信号場兼仮乗降場)

1987年4月

4.5往復(駅)

2009年11月

4往復(駅)

 

【訪問記】(2009年9月)

姫川駅で下車し,駅の観察を終えた後,隣の東山駅に向けて歩いている。6年前にも同じように姫川→東山を歩いたが,そのときは素直に国道5号線を行った。今日はルートを変えて,国道の西側を通る交通量の少ない道を進んでいる。

なだらかな坂道を上がっていくと,左手の眺望が開け,駒ヶ岳が見えてきた。牧草地を貫く農道が,駒ヶ岳に向けて一直線に伸びている。いかにも北海道らしい景色で,俗塵を忘れさせてくれる。些細なことながら,思わぬ余得に酔いしれた。

道なりに左に曲がり,尾白内川を渡り,国道5号線に合したのも束の間,すぐのT字路を左に入る。史跡「三軒茶屋跡」の石碑の前を過ぎると,踏切が現れ,東山駅に到着した。

東山駅については,書きたいことがたくさんある。

● ホーム

「踏切が現れ,東山駅に到着した」と書いたが,ホームらしきものは見えない。実はこの踏切からホームまでは線路沿いを伝っていかなくてはならない(写真1)。その距離およそ100m。特急列車も快走するこの区間で線路沿いを歩くのは結構怖いが,6年前にはなかった柵が今は設置されているので,ちょっとはましになったと思う。

ホームに立ち,周囲を見回す(写真2)。針葉樹林と畑地が広がるばかりで,人の気配はない。それなりに交通量のある車道からも離れているので,ロケーションは最高だ。そっとたたずんで五感を預けていると,「北海道に来たんだなぁ」という思いが昂じてくる。なぜこんなところに駅があるのか,理解できない。・・・だからこそ,今日私はこうして来ているのだが。

 

● 時刻表での扱い

このページの「停車本数データ」を書くにあたって,昔の時刻表を開いてみた。もともと信号場ながら,1949年8月から仮乗降場の役割も兼ねるようになったというから,まずは1950年10月号(全国版)を見てみると,巻頭地図にも時刻表本文にも記載はない。その後,手持ちの時刻表を次々ひもといていくも,やはり記載はない。仮乗降場は全国版時刻表には記載されないことが多いので,別に不思議なことではないが,1961年10月号に至って突然登場しているのを発見した。その後もずっと記載されている。「あぁ,1960年頃から記載されるようになったのだな」と思いながらさらに調べていくと,1979年8月号になって忽然と姿を消した。その後,国鉄民営化に伴う駅への昇格(1987年4月)を経てもやはり記載はない(※ただし,道内時刻表にはこの時期も記載されていた模様)。全国版時刻表に「復活」したのは,持ちうる限りの時刻表では1992年2月号だった。

東山駅に何があったのだろう?

 

● スイッチバック

ここで真打登場である。東山駅と言えばスイッチバックだろう。

線路南側に沿って盛土のようなものが続いている。これが加速線の跡で,ホームへの入り口付近の道沿いには橋台が残っている(写真3)。橋台があるということは,この道を跨ぐ跨線橋があったはずで,道を越えて対岸へと続いていたはずだが,対岸には痕跡は見当たらない。・・・が,片方でも橋台が残っているだけでありがたくなるような遺構だ。

加速線南側の農道を西に向かう。右手に見える盛土はだんだん低くなり,目の高さぐらいになり,農道がくいと南に曲がる辺りでついに地面と同じ高さとなった。この辺りで本線と加速線・待避線が合していたはずだが,明瞭な痕跡は見当たらない。

X型のスイッチバックだったので,この地点を中心に加速線とは点対称の位置に待避線があったはずだ。ので,ここから見て本線の北西の辺りをくまなくチェックしてみる。・・・が,何も見つからない。何となくそれかなと思われる何となく平坦な空間が伸びているように何となく感じられるだけで,明瞭な痕跡は見当たらない。正直,「もうちょっと分かりやすく残っていそうなものなのにな」と思うし,腑に落ちないが,「もう痕跡は残っていないんだ」と思って調査を切り上げるしかなかった。

・・・・・・というのが待避線に関する6年前の調査結果だった。ところが,最近になってとんでもないことを知った。なんとなんと,待避線と加速線は本線から見て同じ側(南側)にあったというのだ。普通では考えられないことで,にわかには信じがたいが,聞き捨てならない。これはもう再訪して再調査せねばならぬ。今日6年ぶりにやって来たのも,ただただその思いからだった。

6年前とは反対側の,加速線と同じ側を探してみる。・・・と,草地が森の中に細長く伸びているのを発見した(写真4)。草地といっても私より背の高い雑草が生い茂っていて,侵入はためらわれるが,周囲の森とは明らかに植生が異なっている。これが待避線の跡に違いない。ただこれだけのことだが,執念を晴らして満足した。


ホーム > 秘境駅の情景 > 東山

ホーム > 廃駅跡の情景 > 東山【現役時代の様子】