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  保津峡(JR西日本・山陰本線)

1.駅遠景

 

2.駅舎

 

3.ホーム(京都方面をのぞむ)

 

4.水尾の集落

【駅概略】

JR山陰本線の京都駅から7駅,14.3kmの地点にある無人駅。1989年に川沿いを蛇行する旧線から新線へと嵯峨(現・嵯峨嵐山)−馬堀間が切り替えられたのにあわせて保津峡駅も現在地に移転した。ホームは京都市と亀岡市の境にまたがっていて,大部分が橋上にあり,旧線と旧駅(現・トロッコ保津峡駅)を眺めることもできる。トンネルに挟まれた完全な山中にあり,民家は一切見えないが,北に約4kmのところに集落があり,そこからの利用者がいる。無人駅だが,簡易改札機が設置されている。

 

【駅データ】

駅名

保津峡(ほづきょう)

所在地

京都府亀岡市保津町
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1936年4月15日

乗降客数

駅名のルーツ

保津の「保」は50戸の集落の意。「津」は川港。佳字地名である。

 

【停車本数データ】

1944年12月

9.5往復

1956年12月

下り20本,上り17本

1968年12月

23往復

1987年4月

31.5往復

2008年7月

下り60本,上り62本

 

【訪問記】(2008年4月)

同行者2人とともに,京都・嵐山の北西に位置する清滝から愛宕山鉄道の廃線跡を探索し,そのまま愛宕山頂まで登りつめて愛宕神社に参拝。眺めの良い場所で小憩したのち,今度は清滝とは反対側の水尾に向けて下り始めた。

清滝からの道は多くの参拝者でにぎわっていたが,水尾に通じる道は暗くひっそりしている。道もこちらのほうが急だ。勢いよく下り始めると勢いあまって止まれなくなる。靴ずれしそうになりながら,隊列を組んで一気にかけ下りる。

こうして愛宕神社から1時間ほどで水尾の集落に出た。水尾は山あいの小集落に過ぎないが,第56代・清和天皇がこの地をこよなく愛し,自らの終焉の地をここに定めたと伝えられている。現在,集落にある民家の大半が「松尾」姓だが,彼らは清和天皇に仕えた人々の子孫だそうだ。かように水尾は非常に興味深い集落で,このページは「保津峡駅」を紹介するページだけど,やっぱりつぶさに紹介しておきたいと思う。

・・・・・・というわけで。

まずは清和天皇社に向かう。集落のはずれから薄暗い階段を登ったところにあり,村人が清和天皇を祀るために建てたという。続いて清和天皇陵にも寄ってみる。集落からいったん谷底に下りて小川を渡ったのち,対岸の斜面を20分ほども今度は登ったところにある。天皇陵に詳しい同行者の一人によると,「清和天皇は崩御後,火葬に付され,この辺り一帯に遺灰をまいた」由。急な登り坂に疲れ果て座り込んでいる私たち3人が,いま,畏れ多くも,その足元・尻元に,御遺灰のひとつも踏みつけてしまっているかもしれない。そんな想像はナンセンスだが,自らこよなく愛し,終焉の地と定め,里人にも愛され祀られた地に安らかに眠る遠い平安の世の天皇の幸せを思う。

来た道を戻り,集落に戻る。現在の水尾は「柚子の里」として有名で,斜面に柚子の木がたくさん植えられている。その合間に,斜面に張り付くようにして家々が並んでいて,良き日本の山間集落の様相を呈している。集落内を歩いてみても,良い意味で垢抜けておらず,好ましい。すっかり満足して,保津峡駅に向けて歩き始めた。

保津峡駅へは地形のまにまに曲がりくねった川沿いの細い道となる。通行者に警戒を促すべく,黄色地に黒でこの先のカーブ形状を示した道路標識が多数ある。それらを,標識に興味があるというもう一人の同行者が,目を輝かせながらこまめにカメラに収めている。そういえば,天皇陵の解説をした先の同行者も,清和天皇陵に向けて急な坂道を登っているときが一番元気だった。かように彼らの奇行も非常に興味をそそられるが,このページは「保津峡駅」を紹介するページなので,関係ないことは一切省略して先に進みたいと思う。

・・・・・・というわけで。

1時間ほどで保津峡駅に到着した。橋上にあるこの駅は,周りを深い山々に囲まれ,民家は一切見当たらない。観光のためだけにあるかのような立地で,春うららかな今日も確かにハイカー(私たちも含めて)がたくさんいた。・・・だが,ひとこと。この駅は,先ほど見てきた水尾の人たちが日常利用する駅でもある。実際,平日の朝晩に嵯峨野線の普通列車に乗ると,この駅で乗り降りする学生やサラリーマン風の男性の姿を見ることができる。愛宕山から水尾を経由して保津峡駅と,一日中歩き回ってさすがに疲れたけれど,保津峡駅を訪問するには必要な道のりだったような気がして,山あいを吹き抜ける心地よい風に押されるように迎えの上り列車に乗り込んだ。


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