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  三国港(えちぜん鉄道・三国芦原線)

1.ホームと駅舎

 

2.ホーム(福井方面をのぞむ)

【路線概略】

三国芦原電鉄が起源。京福電鉄に合併された後,1944年に国鉄三国線の三国−三国港を譲り受けて現在の路線となった。2001年に京福電鉄越前本線で列車衝突事故が発生したため,三国芦原線もしばらく運休していたが,2003年にえちぜん鉄道として再出発した。路線上の起点は福井口駅だが,全ての列車が福井駅まで乗り入れる。朝には快速列車が運転され,また昼間の列車には女性アテンダントが乗務する。

 

【路線データ】

 

営業キロ

運行本数

1925年4月(国鉄三国線)

三国−三国港0.7哩

0往復
(貨物列車のみ)

1944年12月(京福電鉄)

福井口−電車三国24.2km

34往復

1956年12月(京福電鉄)

福井口−三国港25.2km

31往復

1968年12月(京福電鉄)

福井口−三国港25.2km

?往復

1987年4月(京福電鉄)

福井口−三国港25.2km

?往復

2008年1月

福井口−三国港25.2km

33往復

 

【駅データ】

駅名

三国港(みくにみなと)

所在地

福井県坂井市三国町宿1丁目
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1914年7月1日(国鉄三国線の貨物駅として)

乗降客数

305人(1日平均)

駅名のルーツ

ミ・クニとは「水の国」の意。

 

【乗車記】(2008年1月)

継体天皇ゆかりの地をめぐるため、滋賀県の安曇川と福井市内をまわった翌日,今度は三国に向かうべく,福井駅のえちぜん鉄道乗り場にやって来た。窓口で「えちぜん鉄道一日フリーきっぷ」を求め,ホームに出る。センター試験2日目ということもあり,車内はすでに高校生で混雑している。2両編成の列車は,重そうなその体に鞭打って福井駅を出発した。

しばらくは福井の市街地を行く。駅に停まるたび,高校生が続々乗り込んでくる。それを4回繰り返したあと,次の福大前西福井駅で高校生は全員下車してしまった。福大が試験会場らしい。

喧騒が去り,車内はわずかな乗客が点在するのみとなる。電車の足取りも心なしか軽くなり,郊外の田園地帯を快調に北上し始める。やがて向きを西に変えた電車は,終点の三国港に向けてラストスパートに入った。

・・・が、私は途中の三国神社駅で下車。15分ほど歩いた丘の上にある三国神社を散策した後,そのまま三国の町中をぶらぶらする。三国は北前船時代に殷賑を極めた港町で,今も好ましいたたずまいを見せている。ところどころに案内板が整備されていて,逐一立ち止まっては熟読し,往時に思いを馳せる。そこからさらに歩いて東尋坊まで足を延ばし,奇岩が織り成す海岸美を堪能したあと,バスに乗って三国港駅まで引き返した。

ホームで待っていると,やがて福井方面から折り返しとなる普通電車がやって来た。ここまで乗ってきた乗客たちは,下車するや三々五々散っていく。その中で,なぜか駅舎にとどまる女性がいる。制服のようなものまで着込んでいて,運転士と話をしている。「女性にしてはずいぶん気合の入った鉄道マニアだなぁ」と思っていると,なんとこの人,折り返しの電車に乗り込み,車内で切符の販売やアナウンスなどをやり始めた。えち鉄が京福から路線を譲り受けた時から乗務するようになった女性客室乗務員(アテンダント)だという。

継体天皇の母親・振媛(ふりひめ)はここ越前の出身で,大変な美人だったという。短絡的だが,こんなにも麗しいアテンダントを目の前にすると,振媛の美貌がこの地に現代まで息づいているような気がしてくる。・・・が,やっぱり短絡的に過ぎる気がするので,そんな思索はさっさとやめて,福井方面へと引き返した。


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