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  津軽五所川原・津軽中里(津軽鉄道・津軽鉄道線)

1.津軽五所川原・駅舎

 

2.津軽五所川原・ホーム

 

3.津軽中里

【路線概略】

津軽地方基部を走る地方私鉄。陸奥鉄道(現・JR五能線)の川部−五所川原間が国鉄に買収された際の売却金で設立された。夏季には「風鈴列車」,秋季には「鈴虫列車」,冬季には「ストーブ列車」が走る。沿線の金木町は太宰治の出身地として有名。

 

【路線データ】

 

営業キロ

運行本数

1930年10月

五所川原−金木12.8km

7往復

1944年12月

五所川原−津軽中里20.7km

7往復

1956年12月

津軽五所川原−津軽中里20.7km

10.5往復

1968年12月

津軽五所川原−津軽中里20.7km

18往復

1987年4月

津軽五所川原−津軽中里20.7km

25往復
(他に区間列車あり)

2005年7月

津軽五所川原−津軽中里20.7km

13往復
(他に区間列車あり)

 

【駅データ】

駅名

津軽五所川原(つがるごしょがわら)

所在地

青森県五所川原市字大町7-5
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1930年7月15日(五所川原駅として)

乗降客数

1,230人(2000年現在,1日平均)

駅名のルーツ

岩木川や十川の氾濫で開発が困難を極めたというように,たくさんの川の支流に寸断された地形で,五ヵ所(実際はもっと多い。「五」は嘉称)の川面を持つ土地という意。

駅名

津軽中里(つがるなかさと)

所在地

青森県北津軽郡中泊町大字中里字亀山225-1
駅周辺の地形図
へ(国土地理院提供)

開業

1930年11月13日(中里駅として)

乗降客数

310人(2000年現在,1日平均)

駅名のルーツ

 

【乗車記】(2005年8月)

青森からJR奥羽本線,五能線を乗り継ぎ,五所川原に到着。津軽鉄道に乗り換える。津軽五所川原駅のホームはJRと共用だが,JRとは違ってノスタルジックな雰囲気が漂っている。

乗り込むと間もなく発車。すぐにJR線と別れ,北を目指す。午前10時という中途半端な時間帯の地方私鉄にしては結構な数のお客さんがいる。大きなお世話だろうが安心し,嬉しくなった。

さて,その車内だが,よく見ると風鈴が5つ,天井からぶら下がっている。これが「風鈴列車」か,と思う。レールの継ぎ目を通過する度に一斉にチリンと鳴る。適度に揺れるからこそできる芸当だ。

さて,その車内では,地元のおばちゃん達が会話に花を咲かせている。別に聞き耳を立てるつもりはないが,自然と耳に入ってくる。が,何を言っているのかさっぱり分からない。とりあえず日本語ではあるらしいのだが。

列車は津軽平野を淡々と北上する。途中,太宰治の故郷・金木で乗客の大半が下車し,車内はすっかり寂しくなったが,列車はめげずにさらに北に向けて走り始めた。

「深郷田」というあまりに「ふこうだ」と言わざるを得ない小駅を出ると,次が終点の津軽中里だった。列車は1面1線の簡素なホームに静かに滑り込む。運賃を支払って下車,さっそく駅周辺の散策に出た。

が,中里はごくごく普通の街だった。「津軽鉄道」という響きだけで勝手にとてつもないローカル感とレトロ感を想像し,またそれを期待してやって来たのだが,途中の沿線風景も駅もごくごく普通だった。乗客や駅員さんの話す津軽弁には「津軽」を感じたものの,車窓は日本中どこでも見られるごくごく普通の田園風景だったし,駅にもそんなに味は感じられなかった。

温暖な地域の都市部に住む人間の勝手な偏見とエゴに過ぎないのだと知りつつも,やっぱり津軽と津軽鉄道には吹雪すさぶ厳しい冬が似合うのだと思う。夏の津軽は穏やかで,その本性を見せてはくれない。冬に来てこそ本物の津軽が味わえるはずだ。冬になったらまた乗りに行こうと思う。


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